第4回 「個性」、という苦しみ
仮に、そのオリジナリティをずーっと減らしていって、最終的になくそうとしたとしても、どうしても残るものがありますよね。
顔が明らかに違うとか、声が明らかに違うとか、目の形が明らかに違うとか、手の動かし方が明らかに違うとか、喋る単語の種類が違うとか、知っている物事が明らかに違うとか……絶対に、どこまでも個性っていうものを削り落として完全になくしたように見えても、絶対にそこには残存物があるんです。
仮にその「残存物」だけになってしまったとしても、十分「個性」はあるのです。
そもそも所詮私たちごときがそうやって、おかしな「個性」っていうのを削っていったからといって、削りきるところまで行くわけはありません。先ほど挙げた諸々以外にも、必ず残存物はあるのです。
そんなふうに申している私そのものが、まあそれなりに変形作用を伴いながら生きていますので、自分の好みに沿って「住まいの内装には、こんな壁がいいなぁ」とか、「こういう灯かりがいいなぁ」「こういうのがキレイだなぁ」だの、いろいろそういう好みの残存物を持ちながら生きています。
他方で、でもそういうものを削ろうともしているわけです。でも削っていったところで、どうせ残存するんですね。こういうの、「こういうこれこれが良い」とか、「こういうこれこれは良くない」とか。
ただし、その削っていく際に、よりすごく有害な変形作用から、とても微弱な変形作用まですごくたくさんのものがあります。ここであまりムキになって、
「変形作用そのものがすべて間違っているから、全部断ち切らなきゃ」
みたいにムキになっても、そんなことすぐにできるわけがない上に、非常に頑(かたく)なな感じの人間になってしまいかねません。
さらに、一般社会はとにかくこの「変形作用」を増幅させることに基づいて回っていますので、それと敵対するような感じになります。そして、その敵対して頑なになって意固地になったりするような道のりになってしまうと、これは実はまた、ある意味仏教的ではない感じですねぇ。
では、その「変形作用」とのどのようなつきあい方を仏教は提案しているのか、最終回ではそのお話をしてまいりましょう。

顔が明らかに違うとか、声が明らかに違うとか、目の形が明らかに違うとか、手の動かし方が明らかに違うとか、喋る単語の種類が違うとか、知っている物事が明らかに違うとか……絶対に、どこまでも個性っていうものを削り落として完全になくしたように見えても、絶対にそこには残存物があるんです。
仮にその「残存物」だけになってしまったとしても、十分「個性」はあるのです。
そもそも所詮私たちごときがそうやって、おかしな「個性」っていうのを削っていったからといって、削りきるところまで行くわけはありません。先ほど挙げた諸々以外にも、必ず残存物はあるのです。
そんなふうに申している私そのものが、まあそれなりに変形作用を伴いながら生きていますので、自分の好みに沿って「住まいの内装には、こんな壁がいいなぁ」とか、「こういう灯かりがいいなぁ」「こういうのがキレイだなぁ」だの、いろいろそういう好みの残存物を持ちながら生きています。
他方で、でもそういうものを削ろうともしているわけです。でも削っていったところで、どうせ残存するんですね。こういうの、「こういうこれこれが良い」とか、「こういうこれこれは良くない」とか。
ただし、その削っていく際に、よりすごく有害な変形作用から、とても微弱な変形作用まですごくたくさんのものがあります。ここであまりムキになって、
「変形作用そのものがすべて間違っているから、全部断ち切らなきゃ」
みたいにムキになっても、そんなことすぐにできるわけがない上に、非常に頑(かたく)なな感じの人間になってしまいかねません。
さらに、一般社会はとにかくこの「変形作用」を増幅させることに基づいて回っていますので、それと敵対するような感じになります。そして、その敵対して頑なになって意固地になったりするような道のりになってしまうと、これは実はまた、ある意味仏教的ではない感じですねぇ。
では、その「変形作用」とのどのようなつきあい方を仏教は提案しているのか、最終回ではそのお話をしてまいりましょう。

著者プロフィール
小池龍之介(こいけりゅうのすけ)
1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。
月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、正現寺(山口県山口市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照。
住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行なう。
著書に『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』(三笠書房《王様文庫》)、『沈黙入門』『もう、怒らない』(ともに幻冬舎)、 『考えない練習』『苦しまない練習』(ともに小学館)、 『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、 『平常心のレッスン』(朝日新聞出版社)、『しない生活』(角川書店)などがある。
1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。
月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、正現寺(山口県山口市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照。
住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行なう。
著書に『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』(三笠書房《王様文庫》)、『沈黙入門』『もう、怒らない』(ともに幻冬舎)、 『考えない練習』『苦しまない練習』(ともに小学館)、 『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、 『平常心のレッスン』(朝日新聞出版社)、『しない生活』(角川書店)などがある。
バックナンバー
- 2014年10月03日 第1回 物事そのものは「良く」も「悪く」もない
- 2014年11月26日 第2回 ネガティブな感情は、こうして生まれる
- 2014年12月25日 第3回 行き過ぎた「オリジナリティ」が争いのもと
- 2015年01月16日 第4回 「個性」、という苦しみ
- 2015年02月20日 第5回 瞑想とは、ラクに生きるレッスン